2008年03月31日

「八月の狂詩曲」は黒澤明監督作品です!

『八月の狂詩曲』(はちがつのラプソディ、Rhapsody in August)は1991年の日本映画。村田喜代子の原作を黒澤明が映画化した。

ストーリー
ある夏休み。長崎市街から少し離れた山村に住む老婆・鉦の許に4人の孫たちがやってきた。都会の生活に慣れた孫たちは田舎の生活に退屈を覚えながらも、長崎の街にある戦争の傷跡や鉦が話す昔話を聞いて、戦争に対する考えを深めていく……。

エピソード
「アメリカのがないね」
この映画の撮影時にはなかった平和祈念公園のアメリカからの慰霊碑だが、1992年10月にアメリカのセントポール市から寄贈されている。この慰霊碑への寄付を募るために「八月の狂詩曲」上映会がセントポール市で開催された。また長崎市長からこの件に関して黒澤監督へ礼状が送られてきた。

なお、誤解されることも少なくないが、クラークが「すみませんでした」「私達悪かった」と鉦おばあちゃんに謝っている場面は、アメリカ人であるクラークが原爆投下を「すみませんでした」「悪かった」と謝罪しているわけではない。「私達」とは、「鉦の兄であるハワイに移民した錫次郎やクラークらの一家」のことであり、「すみませんでした」は「鉦おばあちゃんの夫が被爆死したことを知らなかった」ことに対してであり、「悪かった」のは鉦おばあちゃんが「長崎の人」なのに、夫の死因に思いが至らなかったことである。(Rhapsody in August - Wikipedia英語版の記述参照)

アリの行列を撮影するための待ち時間が余りにも長かった事から、撮影終了後にリチャード・ギアは「もうアリとは共演しない」と言い残して帰国した。

監督 黒澤明
製作 黒澤久雄
脚本 黒澤明
出演者 村瀬幸子
井川比佐志
音楽 池辺晋一郎
撮影 斎藤孝雄
上田正治
編集 黒澤明
公開 1991年5月25日
上映時間 98分
製作国 日本
言語 日本語

「天国と地獄 (映画)」は黒澤明監督作品です!!

『天国と地獄』(てんごくとじごく)とは1963年3月1日に公開された黒澤明監督の日本映画である。上映時間は2時間23分。毎日映画コンクール・日本映画賞、エドガー・アラン・ポー賞受賞作品。

概要

1961年に『用心棒』、『椿三十郎』と娯楽時代劇を世に送り、次回作には現代劇を構想していた黒澤が、たまたま読んだというエド・マクベインの小説『キングの身代金』(1959年、87分署シリーズのひとつ)に触発され映画化。黒澤が『キングの身代金』を映画化しようと思った動機は2点あり、「徹底的に細部にこだわった推理映画を作ってみよう」ということと「当時の誘拐罪に対する刑の軽さ(未成年者略取誘拐罪で3ヶ月以上5年以下の懲役(刑法224条)、営利略取誘拐罪で1年以上10年以下の懲役(刑法225条))に対する憤り(劇場公開時のパンフレットでも誘拐行為を批判している)」だという。

映画は興行的には成功するが、一方で公開の翌4月には都内を中心に誘拐事件が多発し、3月31日には吉展ちゃん誘拐殺人事件が発生。犯人は逮捕後、『天国と地獄』の予告編を見て(本編は見ていない)思い立ったと供述している。その他にも数件、この映画を模したと思われる事件が起こっている。映画は公開中止にはならなかったが、国会でも問題として取り上げられ、1964年の刑法一部改正(「身の代金目的の略取(無期又は3年以上の懲役)」を追加)のきっかけになったという。

ストーリー

製靴会社常務・権藤の元に息子を誘拐したと誘拐犯から電話が入る。しかし誘拐されたのは社用車運転手の息子・進一だった。誘拐犯は「特急こだまの窓から身代金を捨てろ」と連絡してくる。要求された額は3000万円。しかし権藤は翌日までに5000万円を大阪に送金し、次期株主総会で現経営陣を一掃しようとの魂胆があった。5000万円を送らないと彼の立場は後退する。「進一は助けたい、しかし金は用意できない…」。権藤の葛藤が続く…。


エピソード

151系電車三船演じる主人公の実業家「権藤金吾」の名前は原作の「ゴードン・キング」をもじって付けられた。原作と異なり、主人公は作中でより苦悩する。犯人はより凶悪で、インテリの人物像として設定され、当時は新人であった山崎努が抜擢された。こうした人物設定には、読書家の黒澤が心酔していたというドストエフスキーからの影響があり、善悪の二極対立があると指摘されている。また、原作では現金受け渡しの際に犯人が逮捕されて終り、映画では密室劇として描かれているが、後半には、誘拐に対する黒澤の怒りを代弁する人物として仲代達矢の演じる戸倉警部が逃亡した犯人を追い詰めていくオリジナルのサスペンス劇が展開されている。
原作では高級住宅街のキング邸が舞台であるが、映画では犯人が主人公を憎悪しているという設定から、スラムである港町を見下ろす丘上の権藤邸という舞台が想起され、浅間台から黄金町を一望できる横浜が選ばれた。注:浅間台から黄金町は三春台や野毛山に遮られ見えない。浅間台から見下ろせる犯人のアパートがあった地域は浅間町である。
身代金受け渡しシーンに関するエピソード
当時、日本最速の列車だったこだま号のシーンでは国鉄から実物の151系電車を借りて実際に東海道本線上を走らせて撮影が行われた。151系の窓は開かないが洗面所の窓は7センチだけ開くという構造が重要なトリックになっている。設計図とにらめっこしつつ、国鉄に何度も問い合わせを行ったため「あなたたちは何者ですか?」と怪しまれたという。
列車が酒匂川の鉄橋にさしかかるシーンの撮影において、民家の2階部分が邪魔になったため、依頼して撮影の1日だけ2階部分を取り払わせたという(民家というよりは、工事用プレハブの宿舎のようなものだったとの資料もある)。なお当時のこだま号は在来線特急であったが、後に東海道新幹線の列車愛称として使われる事になったことから公開当時新幹線は開業していないにもかかわらず、「劇中で使われた列車は新幹線」だと間違えて覚えている話がしばしば聞かれる。(→両列車の関係については「こだま (列車)」を参照されたい。)ちなみに、戸倉警部を演じた仲代達矢によると、撮影当時このシーンでNGを出すと2000万円かかったという。
国鉄のダイヤに割り込んでの撮影だったため失敗は許されず、品川の車庫にある停車中のこだま号で入念なリハーサルが行われた。
列車の窓から放り出すカバンは、吉田カバン創業者である吉田吉蔵氏によって特注製作されたものである。
エド・マクベインの原作では身代金を持って移動中の被害者と犯人との接触は自動車電話を使う設定だった。しかし、日本では当時自動車電話が実用化されていなかったため、「電話を備えた陸上交通機関」であった「こだま」を利用することとなった(当時、日本で列車電話を備えていたのは、東海道本線の電車特急と近鉄特急だけであった)。
先頭車両での撮影を担当していた助監督の森谷司郎によると、ボースンを演じた石山健二郎は緊張のあまり、カメラテストの「スタート」という掛け声を本番の「スタート」と勘違いし、こだま号が鉄橋にかかる前に芝居を終わらせてしまった。森谷から報告を受けた黒澤はラッシュを見て撮り直しも覚悟したが、なんとか編集でうまく繋いで事なきを得た。
映画の設定は真夏であるが、実際の撮影は真冬に行われた。出演者は吐息が白くならないよう、時には口内に氷塊を含んで、撮影に臨んだ。なぜ真夏のシーンを真冬に撮影するのかと山崎努が黒澤に訊ねると「夏は暑いのでつい安心してしまう。冬に夏のシーンを撮影すれば、どうやって暑く見せようかみんな工夫するだろう」と答えたという。
後半、トランペットの音楽とともに煙突から桃色の煙が立ち上る(身代金が入ったかばんに燃やすと色を発する薬剤を仕込むという設定)シーンにおいては、モノクロ画面にマスキング合成で着色した。このモノクロ画像に色を入れると言う手法はスティーブン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』(1993年)でも使用され、同じく誘拐ものの要素がある『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年)では、主人公の刑事がモノクロの背景の中で煙突から上がるカラー煙を見て「天国と地獄だ」とつぶやき、犯人の居場所が突き止められるオマージュとして引用された。
犯人が捕まるシーンで流れる曲では、黒澤はエルヴィス・プレスリーの「It's Now or Never」を希望したが、著作権絡みで使用料が多額だったため、諦めてエルヴィスのボーカル無しの曲を使うことになった。そのためそのシーンの曲は「It's Now or Never」ではなくなり、原曲である「'O sole mio(オ・ソレ・ミーオ)」になった。
物語のラストは「刑務所の外に出た戸倉警部と権藤が会話を交わして別れる」というのが当初の予定だったが、誘拐犯の竹内が金網をつかんで泣き叫ぶシーンを黒澤が大いに気に入り、急遽そちらに変更された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
監督 黒澤明
製作 田中友幸
菊島隆三
脚本 黒澤明
菊島隆三
久坂栄二郎
小国英雄
出演者 三船敏郎
仲代達矢
香川京子
音楽 佐藤勝
撮影 斎藤孝雄
中井朝一
公開 1963年3月1日
上映時間 143分
製作国 日本
言語 日本語

2008年03月30日

ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームとは?ーー 概要 ーー

カーミット(キャラクター)のスターハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(またはハリウッド名声の歩道, Hollywood Walk of Fame)とは、アメリカ合衆国カリフォルニア州ハリウッドの、ハリウッド大通りとヴァイン通り沿いの歩道のことである。

ここには約5kmほどの間に、ショービジネス界で活躍した人物の名前が彫られた2000以上の星型のプレートが埋め込んであり、観光名所となっている。毎年星の数は増えており、追加する際のセレモニーには本人も参加する。

1959年よりハリウッドの商工会議所により設立された。最初の6ヶ月で1500以上の星が埋め込まれ、1994年にその数は2000を超えた。現在では毎年6月に、映画、音楽、テレビ、ラジオ、舞台名の5つの分野で活躍した人物を対象に、20名ほどの候補者から一般の投票によって選ばれる。

日本人および日本に関するキャラクターとしては早川雪洲、マコ岩松、ゴジラの星がある。

特徴
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームはハリウッド大通り(Hollywood Boulevard)沿い東西に、ガワー・ストリート(Gower Street)からラ・ブレア・アベニュー(La Brea Avenue)まで、ヴァイン通り(Vine Street)沿い南北に、サンセット大通り(Sunset Boulevard)からユッカ通り(Yucca Street)まで伸びている。

茶色の正方形の中央に、真鍮で縁どりされたテラゾ(大理石を砕いたものとセメント)製のピンクの星型プレートが配置されている。ピンクの星の中には顕彰される人物の名前と、その人物が貢献した分野を表わしたシンボルが付されている。シンボルには以下の種類がある。

「映画カメラ」は映画産業への貢献。
「テレビ(受像機)」はテレビ放送業界への貢献。
「レコード」は音楽業界への貢献。
「DJマイク」はラジオ業界への貢献。
「笑い顔のお面と泣き顔のお面」は演劇への貢献。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「まあだだよ」は黒澤明監督作品です!

『まあだだよ』は、黒澤明監督の日本の映画作品であり、黒澤監督の遺作となった作品。1993年東宝公開。

内田百閧フ随筆を原案として、百閧フ日常と、彼の教師時代の教え子との交流を描いた作品。

戦前から戦後にかけての内田百閧フ生活が描かれているが、黒澤作品の前・中期によく見られる戦闘・アクションシーン等は皆無であり、終始穏やかなトーンで話が進行する。

百閧演じる松村達雄、その妻の香川京子、そして教え子役の所ジョージなど、出演者の好演が光る名作である。


あらすじ
法政大学のドイツ語教師・百關謳カは随筆家として作家活動に専念するため学校を去ることになり、生徒達は『仰げば尊し』を歌って先生を送る。先生の家にはかつての門下生達が毎晩のように集まり、馬肉と鹿肉を使った馬鹿鍋を囲んで宴を開く。しかし楽しい時も束の間、やがて戦争の足音が先生の生活にも忍び寄り、先生は空襲で家を失う。戦後、先生と奥さんは知人から借りた小屋で数年を過ごす。昭和21年、門下生達が主催した「摩阿陀会」が開かれた。なかなか死にそうにない先生に「まあだかい?」と訊ねるという趣旨の会だ。先生はビールを一気飲みし、元気良く「まあだだよ!」と叫ぶ。その後「ノラ騒動」など色々なことが起こるが、月日は経って「摩阿陀会」もついに十七回を数えるようになった。門下生達の頭にも白髪が混じるようになり、彼らの孫も参加するようになったこの会で、先生は小さな子供たちに「皆さん、自分が本当に好きなものを見つけてください」と言葉を送る。途中、先生は体調を崩し門下生達に付き添われて帰宅。ぐっすり眠る先生は、子供の時に遊んだかくれんぼの夢を見ていた。

監督 黒澤明
製作 黒澤久雄
脚本 黒澤明
出演者 松村達雄
香川京子
井川比佐志
所ジョージ
音楽 池辺晋一郎
撮影 斎藤孝雄
上田正治
編集 黒澤明
公開 1993年4月17日
上映時間 134分
製作国 日本

2008年03月29日

「椿三十郎」は黒澤明監督作品です!

『椿三十郎』(つばきさんじゅうろう)は、1962年1月1日に公開された黒澤明監督の時代劇映画。

概要
この作品は元々、かつて黒澤組のチーフ助監督であった堀川弘通の監督作品として黒澤が執筆した、山本周五郎原作の『日日平安』の脚本がベースになっている。『日日平安』は原作に比較的忠実に、気弱で腕もない主人公による殺陣のない時代劇としてシナリオ化されたが、東宝側が難色を示したため、>>>この記事の続きを読む

「乱 (映画)」黒澤明監督作品です!

『乱』(らん)は、1985年に公開された黒澤明による映画作品である。日本とフランスの合作。黒澤監督の第27作目であり、時代劇としては最後の作品となった。架空の戦国武将・一文字秀虎を主人公にその晩年と3人の息子との確執、兄弟同士の擾乱を描く。毛利元就の「三本の矢」の逸話も取り入れてはいるが、物語の骨格はウィリアム・シェイクスピアの悲劇『リア王』である。黒澤は『乱』を自分の「ライフワーク」と位置づけ、また「人類への遺言」でもあるとしている。

【あらすじ】
戦国時代を生き抜き、3つの城を抱える領土を維持した一文字秀虎。ある日突然、秀虎は家督を3人の息子に継がせ、自身は隠遁する決意を客人たちの前で告げた。彼は3本の矢を手に取り、「1本の矢は折れるが、3本束ねると折れぬ」と言いながら、息子たちにお互い助け合いながら一文字家を繁栄させるよう説いた。しかし、父親思いの三男・三郎は、70歳になる父親に対峙し、「父上は馬鹿だ。耄碌したのか。息子達が助け合うなどとは考え難く、血で血を洗う事態になるだろう。」と父親の甘さを戒め、3本の矢を力ずくでへし折ってみせた。

客人たちの前で愚弄されたと感じた秀虎は、三郎とその重臣である平山丹後をその場で追放した。客人の一人である別の国の主・藤巻は三郎を気に入り、三郎を婿として迎え入れることを思案した。一方、秀虎の残る2人の息子にかける期待は、思いのほか早く裏切られることとなる。

太郎の奥方である楓の方は、親兄弟を秀虎に殺された恨みを抱いており、太郎を巧みに動かして秀虎の失墜を画策する。隠居した身とはいえ忠実な家来を抱え、城の中で未だに影響力を持つ父親に対し、太郎は、今後は自分が領主なのだから、一切の事は自分に従うようにと迫る。太郎の強行な姿勢に立腹した秀虎は、家来を連れて次郎の元に赴くが、次郎は「家来抜きであれば秀虎を迎え入れる」とそっけなく告げる。家来を見捨てることなど出来ない秀虎は、家来達と野をさまよう事態に陥ってしまう。

監督 黒澤明
製作 セルジュ・シルベルマン
原正人
脚本 黒澤明
小國英雄
井出雅人
出演者 仲代達矢
寺尾聰
根津甚八
隆大介
原田美枝子
音楽 武満徹
撮影 斎藤孝雄
上田正治
配給 東宝
公開 1985年6月1日
上映時間 162分
製作国 日本・フランス
言語 日本語


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2008年03月26日

「ヴェネツィア国際映画祭(イタリア)」の解説です!

ヴェネツィア国際映画祭(Mostra Internazionale d'Arte Cinematografica) は、イタリアのヴェネツィアで、毎年8月末から9月初旬に開催される国際映画祭。

最高賞は金獅子賞(Leone d'Oro)。日本語では、ベニス国際映画祭、ヴェニス国際映画祭、ベネチア国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭などと表されることもある。

【概要】
世界最古の歴史を持つ国際映画祭である。
国際映画製作者連盟(FIAPF)公認の国際映画祭のうち、2006年の上映作品数は第41位(115本)、来場者数は第10位(174,000人)であった。
かつてはカンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭と並び世界三大映画祭に数えられることもあったが、現在では映画祭としての規模の小ささ、マーケットとしての魅力の乏しさ、また政治利用の場となっていることなどから権威が失墜、映画製作者やバイヤー等の映画人離れが起こっている。

【歴史】
最も歴史の古い国際美術展であるヴェネツィア・ビエンナーレの第18回(1932年)の際に、映画部門として開始された。国際映画祭としては最初とも言われる。初回の最優秀賞は、観客の投票で決められた。1934年から1942年までは、最高賞が「ムッソリーニ賞」であった他、戦争のために1940年から1942年は参加が激減する。低迷していた中、1950年代に多くの日本映画を世界に紹介する事となる。再度脚光を浴びる事となったのは、1979年から1982年にカルロ・リッツァーニがディレクターに就任した期間であった。この間に、現在のプログラム構成に繋がるプログラミングが行われている。長らくマーケット部門を持たず、商業よりも芸術の映画祭として続いてきたが、2002年にマーケットが設けられるなど、商業映画の比重は次第に高まっている。


【公式な賞】
金獅子賞(Leone d'Oro/Golden Lion)
最高賞(作品賞)。受賞者には金色の獅子のトロフィーが贈られる。
銀獅子賞 (Leone d'Argento/Silver Lion)
監督へと与えられる(監督賞)。受賞者には銀色の獅子のトロフィーが贈られる。
審査員特別賞(Premio Speciale della Giuria/Special Jury Prize)
男優賞、女優賞
正式名称はヴォルピ杯(Coppa Volpi/Volpi Cup)であり、受賞者に贈られる杯のことでもある。Volpiはキツネの意であるVolpeの複数形。
マルチェロ・マストロヤンニ賞(Premio Marcello Mastroianni/Marcello Mastroianni Award)
新人俳優に与えられる(新人賞)。賞の名前は、イタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニの名を冠する。
オゼッラ賞 (Osella)
脚本家へと与えられる脚本賞と、技術的な貢献を評して贈られる技術貢献賞の2つがある。
他に、オリゾンティ部門の上映作品に対する賞や、全長編上映作品の中から初監督の作品に与えられる賞、短編部門の賞などがある。


【日本に関係した事象】
日本映画での主な受賞は以下の通りである。

第6回(1938年) - 田坂具隆監督の『五人の斥候兵』が、イタリア民衆文化大臣賞を受賞。
第7回(1939年) - 田坂具隆監督の『土と兵隊』が日本映画総合賞を受賞 。
第12回(1951年) - 黒澤明監督の『羅生門』が、金獅子賞、イタリア批評家賞を受賞。
第13回(1952年) - 溝口健二監督の『西鶴一代女』が、監督賞を受賞。
第14回(1953年) - 溝口健二監督の『雨月物語』が、銀獅子賞、イタリア批評家賞を受賞。
第15回(1954年) - 溝口健二監督の『山椒大夫』が、銀獅子賞を受賞(3年連続受賞は日本人唯一)、黒澤明監督の『七人の侍』も銀獅子賞を受賞。
第17回(1956年) - 市川崑監督の『ビルマの竪琴』が、サン・ジョルジオ賞を受賞。
第19回(1958年) - 稲垣浩監督の『無法松の一生』が、金獅子賞を受賞。
第22回(1961年) - 黒澤明監督の『用心棒』で、三船敏郎が主演男優賞を受賞。
第23回(1962年) - 小林正樹監督の『人間の條件』がサン・ジョルジオ賞、イタリア批評家賞を受賞。
第26回(1965年) - 黒澤明監督の『赤ひげ』が、三船敏郎の主演男優賞の他、サン・ジョルジオ賞、イタリア産業賞、国際カトリック事務局賞を受賞。
第28回(1967年) - 手塚治虫原作の劇場アニメ『ジャングル大帝』が、サンマルコ銀獅子賞を受賞。
第46回(1989年) - 熊井啓監督の『千利休・本覚坊遺文』が、監督賞(銀獅子賞)を受賞。
第48回(1991年) - 竹中直人監督の『無能の人』が、国際批評家連盟賞を受賞。
第54回(1997年) - 北野武監督の『HANA-BI』が、金獅子賞を受賞。
第59回(2002年) - 塚本晋也監督の『六月の蛇』が、コントロ・コレンテ部門 審査員特別賞を受賞。
第60回(2003年) - 北野武監督の『座頭市』が、監督賞(銀獅子賞)、観客賞、オープン2003年賞、デジタルアウォードを受賞。
第64回(2007年) - 北野武監督映画作品の『監督・ばんざい!』にちなんだ、『監督・ばんざい!賞』(Glory to the Filmmaker! award)が創設され、北野監督が第1回受賞者となる。この賞は、存命中の映画監督に贈られる賞として「現役で、将来にわたって活躍が期待される映画監督」という趣旨で創設されたものであり、日本映画のタイトルが賞の名称となったことは、同映画祭史上初である。
また、第54回(1997年)には、映画監督の塚本晋也が、大島渚以来の審査委員を務めた。

1982年には黒澤明に、2005年には宮崎駿に、Leone d'Oro alla carrieraが贈られた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

トップ記事へ

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。